クスノキの番人を読んだ
東野圭吾氏の作品はあまり得意ではない。
というか、実際に読んだことがあるのは「容疑者Xの献身」だけで、あとは全てドラマだったり映画だったり、まあとにかく映像化されたものしか知らない。
「容疑者Xの献身」は(ああ、「けんしん」を変換すると「健診」が出てくる。こうなると途端に全く別のジャンルになるような気がする)、テレビドラマにもなったガリレオシリーズの二作目(多分)。映画化もされたし、韓国でリメイクもされた大ヒット作品(多分)。
そのほかの作品はドラマや映画を観ていて「原作」である小説は読んでいない。でもね、この映像化が私の好みじゃなかった。
というか私にとっては←ここ大事。
「面白くなかった、というか駄作」
無茶な展開や、警察がなぜそんなことも気づかないのか、突っ込まずにいられなかった。なので自然と原作から遠ざかってしまった。映像化されたものと原作である小説は別の作品として捉えるものだ!と言われればそれまでなんだけど、バイアスがかかってしまったので原作を読む気になれなかった。
余談だが、韓国でリメイクされた「容疑者X」は抜群に面白い。リメイク版では「ガリレオシリーズ」にもかかわらず天才物理学者は登場しない。あくまで天才数学者である「容疑者X」のストーリーになっている。韓国はリメイク作品が本当に面白い、というのが持論なんだけど、この作品はまさにそう!と興奮してしまうけど、本題に戻ります。
というわけで東野圭吾氏の作品は一冊以外読んでいない。
ところが、ですよ。
買っちゃったんですよ、「クスノキの番人」
最初に存在を知ったのは電車のドアに貼られた広告だった。
「人殺しの話ばかり書いていると、
時折人を生かす話を書きたくなるのです 東野圭吾」
本人(多分)の自筆でこう書いてあった。
私はこの文字のクセが好みだった。
しかし「ふーん」くらいにしか思わなかった。1億冊!なんて書いてあったけど、
彼くらいの作家ならその数字にも驚かなかったし。」
次に出会ったのは書店だった、
ちょうど村上春樹氏の新作が出たくらいで、店の一角で紹介コーナーが設けられていたその真横に「クスノキの番人」はあった。
「小さな奇蹟を時々無性に書きたくなります 東野圭吾」
小さなポップにはこう書いてあった、
手にとってみたものの、元の場所に戻し、別の本を物色するためにその場を離れた。
3度目に出会ったのはAmazonの画面だった。
書いたいなと思っていた作家の本がなかったので、Amazonで注文をしようと思い、
ログインしたそこにあった。
今から思えば3度目の正直なんだという、うまい文句が出てくるけど、
その時は「これは「読みなさい」ってことなんだ、三回も目にするなんて奇跡かもしれない、東野圭吾も言っているではないか」と本気で思った。
ちなみに東野圭吾はそんなことは言っていない。
というわけで歌舞伎町でヤクザがメッタ刺しされる話と一緒にこの「クスノキの番人」を購入したというわけです。
ダラダラと購入に至るまでを1200文字も使ってしまった。こういうのは冗長文っていうんだけど、まあいい。そういうわけで買ったんですよ、苦手な東野作品を。
で、どうだったの?って話なんだけどね。
読みやすくてスルスルと読み切ってしまった。通勤のわずかな時間を使い数日で読みました。ちなみに二回乗り換える電車通勤っていっても、電車に乗っている時間は、
7分(4駅)、5分(2駅)、2分(1駅)、という合計してもたった14分しかない。往復しても30分弱。まあ落ち着かないけどしょうがない。
なんの話だ。
もとい。
これはね、大人の童話だね。
本文中に
「あっ、それはもう、すごいというか、ものすごいというか、すごすぎるというか、本当にすごいものだと思いました」(クスノキの番人より)
というセリフがあるが、この小説はまさにこれ。私はこの感想しか出てこない。
ああ、この小説「クスノキの番人」はそういう話なの?
読んで内容がわかるのはどの小説も同じだけど、この小説はそういうことでなく、
ああうまく伝えることができない・・・。
あ!こんなセリフもあったっけ。
「いくら私が言葉で話しても無駄だと思います。今のあなたでは、きっと信じられないでしょうから。でもクスノキの番を続けていれば、いずれわかる日が来るはずです」(クスノキの番人より)
この小説(文庫版)には、解説がない。
そう、解説がないのよ。帯にも著名人とかのコメントとかないのよ。そういうことじゃないってことなのか、この本を読んだ人だけがきっと作者の。
東野圭吾、見直した(どっから目線だ)。
最後にもう一回
これは大人の童話だ